プロフィール

基本情報

通称
kame
居住地
名古屋
職種
マークアップエンジニア
その他のシゴト
マジック用フェザーフラワー製作 / 布小物製作 / マジシャン
スキル

Markup/CSSアクセシビリティを考慮したマークアップならおまかせ( ̄^ ̄)V

PHPWordPressのカスタマイズが無理なくできる。昔のジブンの書いたソースコードを見て呆れられるくらいの実力はついた。

JavaScript大好きではない。脱jQueryだいたい完了。

個人的な情報

好みの労働
セマンティックなマークアップ。アクセシビリティとかパフォーマンスについて考えるのも、すき。
好みじゃない労働
gitを使っていないワークフロー。再利用性・拡張性の低いスタイルシートが乱立しているレガシーなサイトの部分修正。
好みの食べ物
トマト / アボカド / グレープフルーツ / ココナツ / 鯖 /
好みじゃない食べ物
ばなな / コリコリした食感のモノ
得意なこと
作業の効率化、手芸とか工作全般
苦手なこと
美男美女の顔を記憶すること
気になる俳優
ケヴィン・ベーコン
気になる映画
インド映画
日課
放置プレイ家庭菜園
週課
実家仕舞い
月課
今月のかめの更新 / ホラー映画上映会
年課
マジックの公演 / 天然もずく採り

ウェブ制作に関しての自分史

1900年台黎明期
よほどのオタクでなければPCを個人所有する時代でもなかったので、ジブンのPCは所有しておらず、大学の情報センターで、メールのやりとりやモノクロのウェブサイトの閲覧をしていた。当時はウェブページ制作の基礎を学ぶ授業もあったようで、後輩が簡易な自己紹介ページを作っており、その子はそのページで「貴族」を自称していた。我が国にも貴族はいることを、初めて知った(嘘)
2000年台初め黎明期
ウェブサイトというものは割とジブンでも作れるということを知り、「全部無料でできるなんちゃら」という本を知人からもらって、タグ打ちによるウェブサイト制作を趣味で始める。
この頃はアマチュアのこんな感じのヒトが多かった気がする。ブログや、ブラウザでウェブサイトを作るサービスはまだなかったから。みんな、何かしら情報を発信したかったんだね!
2000年台半ばセミプロ時代
乱発していた筆者の個人サイトを見た知人が、自作したECサイトのリニューアルを依頼してきて、初めて仕事としてサイト制作を請け負う。ECサイトとはいえ、ショッピングカートのボタンを埋め込んだ商品一覧で、動的実装はなし。なので受注価格も激安。
2000年台後半セミプロ時代
ウェブサイト制作をシゴトにできないかと目論み、派遣会社などに登録するも、何分実務経験が乏しいのでドコも雇ってくれない。現場でスキルをモノにするポテンシャルはあったと思うのだけど(実際にそうだったし)、我が国の企業はそういう人材で冒険はしないからね。とりわけ薹の立った人材では。
2008年頃セミプロ時代
某専門学校のオンラインスクールの受講料が、アドビの全部入りパッケージ製品の価格と同じくらいで、しかもそのソフトもついてくるというものだったので、ソフトを手に入れるためだけに受講する。
当時としては珍しかったオンライン授業のクオリティは微妙だったが、教材や講師による制作物の添削講評体制はそこそこよかった。無いに等しかったスキルは多少マシになった。
2011年頃ハケン時代
初めてウェブ制作の派遣案件の紹介を受ける。メモ帳を使ってタグ打ちするという、割と劣悪環境での短期就労。程なくして次の派遣案件を紹介される。これもまた特殊な案件で、風俗関係のポータルサイトを運営している会社での着せ替えテンプレート量産というモノで、つまりは女子の皆さんがやりたくない業種だったためお鉢が回ってきた感じ。
2010年代前半ハケン時代
先の2案件が「実務経験」として認められたのか、短長期の派遣案件をちょいちょい紹介してもらえるようになった。ジブンはデザイナーに向いていなことがわかったので、コーダーに徹したのが功を奏したのかもしれない。実務経験を積んで、どんどん実力をつけていったが、大抵の職場はコーダー不在だったので、先輩に教えてもらうということはほぼなく、本で学んだり、セミナーを受講したりして、独学で身につけていったかんじ。
2010年台半ばハケン時代
コーダーの募集自体は極めて少ないが、コーディングに特化した人材もいないので、募集があるとほうぼうから声をかけてもらえる感じだった。一度断った案件を他の派遣会社から紹介されたこともあったし、逆に他所の派遣会社の書類審査で落とされた案件を、有能なエージェントが面談まで繋いでくれたこともあった。とはいえ、派遣勤務だと携われる業務内容に制限があるのと、割と作業のスピードが早いため、だいたいドコの職場でもやることがなくなって、暇な時間がつらくて辞める、ということの繰り返し。
「ウチは忙しいから大丈夫です!」と、ドコの職場のヒトも最初は言うのだが、忙し過ぎるとハケンに任せるシゴトを捻出することを考える時間もなくなってしまうという事実にほとんどのヒトが気づいていない。
2010年台後半ハケン時代
生涯で一度だけ、正社員として勤務したが、1ヶ月で辞める。就業規則にみなし残業代の時間が明記してあるにも関わらず、ソレを越えた分の残業代を払わないと総務のヒトが言うので、その旨を問いただすと、シャチョー自ら「社労士が問題ないと言っている」などと信じられないことをぬかすし、「誰々さんのことは今後役職名をつけて誰々常務と呼びましょう」などと前時代的なことを言い渡されたり、役職名で呼ぶことについてのくだらない会議を延々としたりする会社だったので、こりゃかなわん、とおもってすぐ辞めた次第。でも、こんな会社は多いのだと思う。正社員勤務はジブンにはむりだと悟る。
2010年台末フリーランス期
派遣勤務に限界を感じ、かといって正社員勤務にも魅力を感じられないので、開業届を出してフリーランスになることにする。とはいえ、消去法的に流れ着いただけで、シゴトをもらえる当てがあったわけではない。ヒトのツテをたどって細々とシゴトを受注していたが、残念なことにだいたいドコの発注者も時が経つと発注の仕方がおざなりになってきて、約束を守ってくれなかったり、同じミスを何度も繰り返したり、不誠実な対応をされることが増えてきて、ソレについて言及したりすると連絡が来なくなって、縁は次々に切れる。
2020年台初めフリーランス期
オンラインセミナーでLT登壇をしたついでに「案件受注してまーす」となんの期待もなく言ってみたら、もとからの知り合いのヒトが連絡をくれて継続的に発注してくれるようになった。言ってみるものだな(゚д゚)!
このヒトは、エンジニア兼ディレクターで、エンジニアに必要な情報をだいたい過不足なく提供してくれるし、不誠実な対応はしないし、ニホンゴ能力に問題があって文字ベースでのやり取りに支障を来すこともないし、なにしろこちらの事情も汲んでフレキシブルに応じてくれるので、今のところご縁が続いている。
2023年フリーランス期
いつシゴトが途切れるかとびくびくしながら暮らしている。とはいえ、決して稼いでいるわけではないのに、オカネを使わないので、オカネに困ったことは一度もない。今後もなんとかなる気はする。オカネには困らないが、基本的にシゴトはすきなので、ぼんやり何もしないで過ごすよりは、シゴトをして過ごしたい。
親が他界したり、親の介護度が上がったり、イロイロあり、当分実家マターが続きそうで、その影響でおカネのことをすこし考えるようになった。ハケン時代より前から貯金はしていたのだけど、ただ貯金をするよりはマシかと思い、積立NISA始めました( ・_・)σ